プログレッシブ・ロックの魅力

なぜ自分はプログレッシブ・ロックというジャンルの音楽が好きなのか考えてみた。

複雑な曲構成に対応できたときの心地よさ
複雑に張り巡らされた変拍子や転調。
プログレッシブ・ロックには一聴しただけでは曲展開が把握できない曲も多いが,繰り返し聴いているうちに,体が覚えて自然と対応できるようになっていく。
ここで拍子が切り替わり..そしてすぐにまた違う拍子に..ここで小さくシンバルが入る..といったように,
曲の構造を詳細まで把握していく過程が気持ちいい。
そして一度曲構成が体に染み込んでしまうと,はじめは複雑怪奇に思えた曲構成であっても,もうそれ以外にはありえないとさえ思えてくる。
細かなテクニックが一つ一つ積み重なり,これ以上ない程に美しく組み上げられた楽曲。
尊敬の念がふつふつと湧き上がってくる。
稀に初聴時にも関わらず,次はこの音が来るだろうなと思ったのがその通りになった時には,人目関係なしに笑みが浮かんでくる。
少なからず自分の中にプログレッシブ・ロックイズムが定着している証拠だ。

過去に自分が触れてきた音楽と通ずるものがある
ピアノや吹奏楽など実際に楽器を演奏してきた自分が,歌詞を持たない所謂インストゥルメンタルの楽曲が多く,各楽器の高い演奏技術でもって情景を描くプログレッシブ・ロックに流れていったのは比較的自然なことだと思う。
いちリスナーとしてだけでなく演者としての過去の自分を彼らに重ね合わせることで,このジャンルで活躍するアーティストの技巧がいかに優れているかをよりリアリティの高いものとして感じられる。
各パートの縦が完全に揃っていること。
パートからパートへ,そして主旋からオブリガードへの見事な受け渡し。
ベルトーン。
当たり前にピッチが揃っている気持ちよさ。
吹奏楽部でのTuttiを思い出して,改めて,間違いなく彼らはプロなのだと再認識できる。

言葉ではなくメロディで壮大な情景を描くことの魅力
洋楽は日本語ではないから意味が分からずつまらない,邦楽でも間奏の長い曲は退屈だ,インストはいらないといった意見を過去多く耳にしてきた。
となると,そういう人たちにとっては,海外のプログレッシブ・ロックバンドは退屈の極みでしかないだろう。
しかし少し考えて欲しい。
まず英語の歌詞の意味が分からないなんていうのは単に辞書を引けばいいだけのことであって,そんなものは聞きなれない日本語を多用した曲にだって当てはまる事である。
仮に歌詞の意味が理解できないとしても,それ以上に,そのメロディからどのような感情や情景が喚起されるかといったことのほうが大事なのではないだろうか。
確かに歌詞があることによって,作り手の意図やメッセージはスムーズに伝わるかもしれない。
しかし ”聴き手が曲から想像するもの” の域を超えることはなく,なまじ言葉があるぶん想像に制約をかけてしまう。
“青い海”という歌詞からは青い海の情景が連想されるだけであり,一面の草原や広がる宇宙は連想されない。
それに比べ,歌詞の持たないインストゥルメンタルの楽曲は,聴き手の想像を制約することはない。
ギターとベース,ドラムとキーボード。それぞれが生み出すメロディは,果てのない空想の世界へといざなってくれる。
ひょっとすると,作り手の意図した世界観と聴き手が連想した世界観との間には,大きな乖離があるかもしれない。
しかしそれはそれでいいように思う。モノの受け取り方は三者三様なのだから。
ちなみに,聴き手のイメージの方向性を決めるのがアルバムのジャケットやブックレット等のアートワークである。
アルバムの音楽以外の部分にも多くの趣向が凝らされているのがプログレッシブ・ロックの魅力でもある。
アルバム制作への並々ならぬこだわりについては後述する。
ということで,自分は音楽の最たる魅力はメロディであり,表現は悪いが歌詞は二の次だと思っている。
いわゆる“メッセージ性の強い歌詞”を持つ歌であっても,それ以上に曲を聴いた後に印象強く残るのはメロディではないだろうか。
だいいち,メッセージ性が強かったり心打たれる言葉に触れたい気持ちが強いのであれば,小説でも読めばいい。

アルバム制作へのこだわり
一般的なバンド,こと日本国内のバンドにおいては,シングル曲を発表し,幾つか楽曲のストックが溜まったら,アルバム収録の曲を追加で作成し1枚の作品として発表する事が多い。
発表したシングル曲は人気を博したものばかりかもしれないが,アルバムを通して聴いたときの脈絡はあまり無く,単なる詰め合わせの作品であることも少なくない。
これに対しプログレッシブ・ロックの作品の魅力は,基本的にコンセプトアルバムであることだ。
1曲1曲が完全に独立しているのではなく,アルバム全体を組曲のようにひとつの作品としている。
言わばアルバム1枚で1曲というわけだ。
シングル曲を頻繁に発表するのではなく,作りに作り込んだアルバム単位で発表するため,次の作品のリリースには間違いなく数年空く。
数年で済めばまだいい方で,中には十年以上も空く事もある。
しかしどのバンドもアルバム制作にかける熱意は半端ではなく,リリースされた暁には相当な完成度を誇るため,待つこともまた醍醐味なのだ。
アルバム制作におけるこだわりの一例を挙げてみる。
プログレッシブ・メタルの第一人者Dream Theaterは,一時期アルバムの最後の音が次作の最初の曲に繋がるという演出をしていた。
例えば7thアルバム “Six Degrees Of Inner Turbulence” の最後の曲 “VIII. Losing Time – Grand Finale” の最終音は,続く8thアルバム “Train Of Thought” の1曲目 “As I Am” の第一音と同じであり,同アルバムの最後の曲 “In The Name Of God” の最終音は,自作9thアルバム “Octavarium” の1曲目 “The Root Of All Evil” の第一音と同じである。
つまりアルバムをリリース順に連続して再生すると,ひと繋がりの作品であるように聴こえるのだ。
アルバム単体で完結するのではなく,次のアルバムへのアプローチにも趣向を凝らすという拘りっぷりである。
この演出を初めて知ったときは本当に目から鱗で,
当時使っていたWalkmanの楽曲管理アプリではアルバムは単純にアルファベティカルにソートされるだけだったため,
慌ててアルバムタイトルの頭に”1.○○○”のように数字を打ち込み,リリース順にソートされるようにした。

他にも,日本国内では影を潜めがちなベースやドラムが余裕で主役を張っているだとか,
各パートの卓越した演奏技術や音楽キャリアだとか,
シニアがバリバリの現役であるとか,
メンバー遍歴の激しさから伺える人間ドラマだとか..
とても語り尽くせない魅力に溢れたジャンル,それがプログレッシブ・ロックという音楽なのである。

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